
先日あるテレビ番組で「野人」岡野の学生時代について取り上げていた。
その内容はリアルスクールウォーズのようなドラマや映画化されてもおかしくない内容で
「本当にこんな話が現実にあるんだ」と思うくらい日常とはかけ離れていた。
そもそも、「野人」岡野という人物を知らない人もいると思うので簡単に説明すると
日本を初めてサッカーのワールドカップへ導いた立役者だ。
サッカーの特集など過去の総集編では必ず登場するくらいの偉業を成し遂げた選手であり
その当時どの選手よりも足が速く、ボールに食らいつく執念の姿はまさに野人そのものだった。
そんな彼は小学生から中学生まで地元でもサッカーがうまい事で有名な少年で
誰もがサッカーが強い高校に入学すると思っていたのだが
いろんな偶然が重なって彼はサッカー部が無い高校へ入学してしまった事から
壮絶な高校時代が始まる事となる。
■日本全国からヤンキーのエリートが集まる高校
岡野が入学したのは日本の選りすぐりのヤンキーが集まる高校で、
悪い態度の学生を更生させる為に非常に厳しいルールがたくさんある高校だった。
ちなみに岡野はヤンキーでもなんでもない普通の高校生で
たまたま親戚のおじさんにサッカーが出来る良い高校があると紹介を受けて入学したら
サッカー部もなにもないただのヤンキー高校だったのである。
そのおじさんは嘘をつきたくてついた訳ではなく、そこの高校を卒業した生徒は
厳しいルールによってしっかりと更生された学生ばかりを卒業させるので
その評判だけで彼に入学を薦めてしまったのだ。
岡野は入学して愕然とした。
サッカー部も無いし、選りすぐりのヤンキーが毎日ケンカしている光景ばかり
そんな苦しい環境の中、毎日泣いて過ごしていたという。
門限は夕方の6時。
朝は3時からお祈りが始まる。
「不動」という1時間まったく動いてはいけない授業があったり
寮は脱走すると警報が鳴るくらいセキュリティも厳しかったり
とにかく通常では考えられない事ばかりだった。
今まで真面目に暮らしてきた彼にとって、その環境すべてが衝撃だったのだ。
■ある先輩との出会い
そんな辛い日々を送りながら2~3カ月くらい経ったある日。
学校の校庭で壁に向かってサッカーボールを蹴っている先輩と出会う。
その先輩もサッカー部があると聞いて入学したのに実際に入ったら無かったという
偶然にも岡野とまったく同じ境遇の人がもう一人いたのだ。
岡野はその先輩とサッカー部と作る事を決意し、学校に申請を出してサッカー部を設立。
さっそく部員を集め始めた。
なんとか部員は集まったのだが、その集まったのがトップクラスのヤンキーばかりだった。
まだ入学したばかりの岡野は1年生。
当然3年生もサッカー部に入部してくれた事もあり
ビビる気持ちを抑えながらも、岡野がメニューを考えて部員全員で毎日練習に励んだ。
練習場まで歩いて30分くらいの場所にある為、その道中先輩ヤンキーたちは
ケンカをし始めるのだが、練習場には必ず来て真面目に取り組んでいた。
トップクラスのヤンキーからしたらケンカは準備運動に過ぎなかったみたいだ。
かなりキツいメニューをこなしていたがヤンキー達はもともと根性があり
誰も弱音を吐く事は無かった。
■練習試合がきっかけで心を入れ替える
練習もたくさんしていると当然試合がしたくなる。
顧問の先生はいたが、その先生はサッカー未経験者でなにもしなかったので
岡野が監督兼コーチを行い、練習試合の申し込みも自分でいろんな高校に電話をかけた。
有名なヤンキー高校と試合をしてくれる高校はなかなか見つからなかったが
唯一1つだけ練習試合を受け入れてくれる高校を見つけた。
そして試合当日、初めての練習試合で気が荒立っていたのか、
相手選手から試合をする事に不満を漏らす声を耳にしたヤンキーの先輩が
ホイッスルが鳴ると同時に相手選手に飛び膝蹴りをして大乱闘。
ヤンキーサッカー部20人対相手高校全員300人でケンカが始まった。
選りすぐりのヤンキーはやはり強く、バタバタと人を倒していきケンカには勝ったのだが
岡野は純粋にサッカーをしたいと思っているだけなのに
まともに試合1つも出来ない今の現状に悲しさや悔しさといったいろんな感情が込み上げてきて
その後のミーティングでサッカー部を辞めると全員に伝えた。
岡野は泣きながら「僕はサッカーがしたいんです」と心からの気持ちを伝えた。
岡野は逆ギレされる事を覚悟に部員に今思っている事すべてを訴えた。
そうするとヤンキー達は全員岡野に頭を下げたのだ。
「本当に申し訳なかった。真面目にサッカーをするから辞めないでくれ」
岡野の心からの言葉がヤンキー達に届いたのである。
そこからヤンキー達は今まで以上に練習に励んだ。
■岡野の采配
練習を積み重ねていく中で岡野はある事に気付く。
ヤンキー達の身体能力の高さである。
全国から選りすぐりのヤンキー達が集まる中でもトップクラスのヤンキーがサッカー部には入っている。
テコンドーの全国大会優勝者や足が岡野よりももっと速いヤンキーがいたり
フィジカルが異常に強く絶対に当たり負けしないヤンキーがいたりと
その特性を活かした配置を組んでいったのである。
そして、岡野の指導でどんどん上達していった。
そんな中ケンカで中断してしまった試合以来初めての練習試合が始まった。
結果は負けてしまったが最後までやりきった。
途中何回も手を出してしまいそうになるヤンキー達は寸前のところで堪えたのだ。
これは大きな進歩で、ここから岡野とヤンキー達の快進撃が始まる。
試合を重ねる事に16対0、12対0と少しずつ上達していき
サッカー部を作ってから1年半後に初めて勝利する事ができた。
初めての勝利にサッカー部全員で泣いて喜んだ。
今まで戦術などはほとんどなく、選手の身体能力に頼っていたが
勝利した事をきっかけにヤンキー達はサッカーの動画を見るようになり研究しはじめ、
どんどん上達していき県大会ベスト4にまで登りつめたのだ。
学校もサッカー部専用の寮を作ったり、授業を免除するなど特別扱いするようになった。
ヤンキー達は赤点を取ると練習できなくなってしまう為
仲間同士で勉強を教え合い学力も向上していった。
岡野が作ったサッカー部は県内でも屈指の強豪にまで成長したのだ。
■高校最後の試合
地区大会は余裕で勝てると思って挑んだ試合が岡野の高校最後の大会となってしまう。
今まで一度も負けたことのない相手だった事もあり誰もが通過点だと思っていた。
ところが、チームのエースである岡野を3人がかりでマーク。
岡野はまったく仕事をさせてもらえずに試合は1対1と接戦。
PK戦にまでもつれこんだ。
誰も外すことなく決めていき、岡野の出番がまわってきた。
なんと、岡野はPKを外してしまったのだ…
試合は負けて、岡野の高校最後の試合が終わった。
岡野は情けない感情とみんなに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そんな中、チームのメンバーが岡野に声をかけた。
「PKを外したのが岡野でよかった」
誰も岡野の事を責めてなどいなかった。
むしろ岡野以外が外していたらどうしていいか分からなかったし
岡野だからサッカー部全員が納得する事ができたのだ。
岡野は涙が止まらなかったという。
こうして岡野の高校最後の試合に幕を閉じた。
■どん底だと思っても動けば何かが変わる
岡野の状況は誰から見ても最悪な状態からのスタートだった。
それを誰も経験することのできない最高の状態に変えた。
それは、岡野のサッカーに対する情熱と行動がもたらした結果だ。
困難な壁が目の前に立ちふさがった時、ほとんどの人は諦めてしまう。
でも岡野のようにどんな壁が目の前に現れても
とにかく行動していく事でいろんな道や選択肢が出てくる。
このドラマのような経験は岡野にとって最高の財産に違いない。
どんな状況でも諦めない気持ちが大切だという事を実証してみせたのだ。
とても勇気をくれるストーリーだったので、ブログで少しでも多くの人に知ってほしいと思い記事にしてみた。
この記事を読んで、少しでも勇気を持つ人がいたら嬉しく思う。