
「鳥貴族」という焼き鳥居酒屋チェーン店の名前を聞いたことがない人はいないと思う。
お手頃の価格に反して考えられないようなボリュームの焼き鳥が人気だ。
関ジャニ∞の大蔵忠義を息子に持つ大蔵忠司社長。
この鳥貴族を日本を代表する居酒屋チェーン店にするまでに
どのような経歴を辿ってきたのか、今もなお躍進し続ける大社長の創業当時について
簡単にまとめてみた。
■若くして覚悟を決めて起業
1960年に大阪に生まれた。
高校を卒業してから辻調理師専門学校に入学。
料理の基礎基本を学び、リーガロイヤルホテルへ就職した。
レストランで3年間勤めてから若干25歳で鳥貴族1号店を出店する。
これだけみると若くして自分の店を持ち、順調にステップアップしているように見えるが
起業する時の覚悟は相当なものだったと思う。
なぜなら、自分の店を持つ為に投資した金額は1200万円。
自分の貯金200万円と父親が家を担保に1000万円用意した。
自分だけの力ではすべてのお金を準備する事ができないからといっても
実家を担保に1000万円借りるのはかなりの勇気と覚悟が必要だ。
それを許してくれた父親もすごいが、おそらくそれほどの熱意が大倉社長にはあったのだろう。
最初の資金を集めるという難関はクリアしたが、ここからが大変だった。
■お客様が来なくて試行錯誤する日々
まず、最初に店舗を出した立地が最悪だった。
駅近ではあったが利用者数は少なく人通りもあまりない場所だった為
最初の頃はほとんどお客様が来なかったという。
家賃が安かったからなんとか維持できたが、
他のと差別化を図らないとリピーターを確保できない状況だった。
開店してから1年半くらいはいつ潰れてもおかしくなかった。
メニューの構成から価格設定までいろいろ試していたがなかなか上手くいかない。
もともと勤勉な性格で、本を読んではその知識をもとに
いろんな手法を試していった。
その手法の中で今の形に繋がっているのがマージンミックスという考え方だ。
鳥貴族のメニューの中で鳥貴族焼という看板商品がある。
一般的な焼き鳥屋さんが1本25グラムで提供している焼き鳥を
大倉社長は1本60グラムで、しかも280円で提供する事に決めた。
お客様からしたら、こんなに満足な焼き鳥を食べられるお店は他にはない。
それを目当てにくるお客様がどんどん増えていき、リピーターに繋がっていった。
本人も言っているが、この商品だけをずっと注文されると大赤字になるそうだが
それに連動していろんな商品を頼んでくれる事で利益を得る仕組みになっている。
簡単に言うと損して元を取る手法を取り入れた結果、繁盛店へと変わっていったのだ。
■チェーン店にする構想は初めから持っていた
1店舗目を出す時から、1000店舗を目標として持っていた。
原価率が高く利益率が低いビジネスは店舗数が増えていかないと
大きく利益を得る事はできない。
今でこそ何百店舗もあり、軌道に乗って順調に成長し続けているが
最初のうちは、自分の給料を減らすなどの調整をしていた。
安くてもクオリティが高ければ必ずリピーターは増える。
その原理原則を崩さないように
どれだけ効率が悪くても焼き鳥の串打ちをやめないなど
美味しさを追求した。
これは大倉社長本人が料理人であるが故のこだわりでもあると思う。
最後のひと手間を惜しまない。
その想いは脈々と受け継がれているからこそ、
日本全国に広がり人々から愛され続けている要因だろう。
外食産業は競争率が高く成功する事が難しいと言われている。
いろんなサービスが出尽くしている中
本当に良いものだけが残る時代を見据えていたかのように
顧客満足を追求し続けた。
普通は利益が落ちてきたり、経営が苦しくなると
どこかで楽しようとか、手を抜いても気付かれないだろうといった気持ちが働くものだが
その見えない部分までしっかりと気を配る大倉社長のこだわりは
お客様だけではなくて社員にも伝わっている。
鳥貴族の社員は自分が働いている店に食べにくる確率も高いそうだ。
それは、実際に働いている人でも安心して安くて美味しいものを食べられるという
真実を物語っている。
小手先のテクニックを使った経営ではない。
大倉社長が歩んできたような基礎基本、原理原則に基づいた経営が
いつの時代も求められているのかもしれない。