
人は日常の中で自動的に行っている行動がたくさんある。
例えば、朝起きて顔を洗う、歯を磨く、着替える、ご飯を食べるなどの行動は
基本的に何も考えなくても勝手に身体が動く。
その時間は何も考えていないから、自分自身にとってメリットもデメリットも無い。
人間1日24時間365日ずっと何かを意識して過ごしていけるのかというとそうではないが
無意識に行動して見逃してはいけない大切な事までスルーしてしまっている傾向がある。
それは人によって感じ方がそれぞれ違っているからであって
ただ単に歩く動作に対して感情を抱く人はほとんどいないが
ごく少数の人達は歩くという動作をしただけで大きな喜びを感じる事が出来たりする。
歩くだけで喜びを感じる事が出来るのであれば、その方が良いに決まっている。
喜びや幸せを感じる回数が多ければ多い程、充実した人生を送れると誰もが分かっているからだ。
じゃあその違いとは一体なんなのか。
その違いこそが人生をより豊かに生きるヒントに繋がるのではないだろうか。
今回は今この瞬間、目の前の出来事に目を向ける事により起こる感情の変化や心の在り方を知り
人生をより良く生きる為に必要な考え方について話していきたいと思う。
■幸せをスルーしている
多くの人達は目の前にある幸せに気付く事さえ出来ずにスルーしてしまっている。
例えば人は毎日必ずご飯を食べる。
1日2~3回食事の時間があるが、それを毎回幸せを感じながら食事の時間を楽しんでいる人は少ない。
基本的に食べられる事は当たり前で、人によっては無理して食べている人もいる。
日本では食事に困る事は無いし、食べ物が溢れているから
食べたい時に食べたい物を手に入れる事が出来る環境が当たり前になっている。
でも、ひとたび環境が変われば人はその当たり前が感謝に変化する。
その環境の変化のほとんどは不幸によってもたらされる事が多く
交通事故によって流動食しか受け付けない身体になってしまったり
余命宣告を受けて自分が食事が出来る残り回数が減っていくのが分かる環境になるなど
通常自分には起こらないだろうと思っている不幸が降りかかった時にその事実に気付く。
「ご飯を美味しく食べられる」という事は幸せなことなんだと。
■目の前に起こる全てが幸せ
目の前の食事一回一回が実は幸せな事で、
それをどれだけ望んでも叶わない人がいるという事実に
目を向ける事が出来ていない事から気付けない人達がこれだけ多いのだ。
この事実を自分の中で認識出来れば
「食事が面倒臭い」とか「食べる事が嫌い」と言っている人のたった一回の食事だけでも
その食事が出来ない人達に分けてあげたいと多くの人が思うだろう。
これは食事に限らず、自分の足で歩ける事、両手を使って不自由なく着替えられる事
極端に言えば、呼吸出来ている事だって幸せだと感じられる。
手が使えない、足が使えない、呼吸が困難な人達を幸せか不幸せかを決めるのは自分自身であって
周りの人達が決める事では無いのだが、少なくとも今そうした事に不自由を感じていない人達にとっては
それらが出来なくなってしまう事は多少なりとも不自由が生じて不幸せに感じる確率が高い。
当たり前が次の瞬間には当たり前じゃなくなるかもしれないと思えば
無意識にスルーしている幸せに気付く事が出来るようになる。