
DELLコンピューターは世界でも5本の指に入る誰もが知っているコンピューター会社だ。
その創始者であるマイケル・デルはわずか19歳で起業して
当時市場最年少の24歳でNASDAQ株式公開を達成。
フーブス500にも名を残すなどの偉業を成し遂げた天才である。
今回はマイケル・デルがいかに起業家として才能を開花させていったのか
その成功への道のりについて話していきたいと思う。
■マイケル・デルの生い立ち
マイケル・デルは1965年2月23日にテキサス州ヒューストンの住んでいる裕福なユダヤ人の家庭に生まれた。
株式ブローカーをしていた母親の影響で小さいころから自分もビジネスをしたいと興味を持ち
12歳の時に中華料理屋で皿洗いをしながら、貯めたお金で切ってを集め
カタログ形式にすることで雑誌の広告に載せて2000ドルも稼いでいた。
この時から商売の才能を開花し始める。
デルはその他にも電子機器に興味を持つようになり、14歳の時にはアップルコンピューターを買い
それを分解したり組み立てたりしながら独学でコンピューターについて学んでいった。
高校を卒業してテキサス大学に進むとIBMの卸業者からパソコンの部品を安く購入して組み立てたり
パソコンをアップグレードさせて大学内で安く販売して稼ぐようになる。
両親からは医者を目指すように言われていたが、それ以上にビジネスの没頭するようになり
在学中にも関わらず月8万ドルもの売上をあげていた事もあり、19歳で大学を辞めてビジネスに集中できる環境を作り出した。
■デル・コンピューターの成功への道
19歳でPC’s Limitedという会社を立ち上げたデルは、
当時パソコン業界では初めての電話で直接注文を受けるやり方を取り入れた。
お客から注文を受けてからパソコンを組み立てて発送する為、ロスが無く在庫もほとんど必要なかった。
新しいビジネススタイルをうまく構築すると、起業して最初の年には6億円もの売上を達成することになる。
次の年からも順調に売上を伸ばしていったデルは、24歳でNASDAQ株式公開を行い
1987年に社名をDELLへ変更すると、1988年には世界で一番のパソコンメーカーになる。
フィーチューン500にも選ばれて世界でもトップ5に入る資産家としてデルは大成功を収めた。
そうして数々の地位と名誉を手に入れたデルは2004年に最高経営責任者を辞任して第一線を退いた。
しかし、辞任と同時にDELLの業績は急激に悪化していくことになる。
ライバル会社の躍進、同じ直販パソコン販売会社の増加、DELL事態が起こした不祥事により
3000万円の損失と共にお客からの信頼も失うことになる。
その危機的状況からデルは経営最高責任者として呼び戻される。
そこからは株式非公開化やストレージ大手のEMCを買収するなど
様々な方法で業績を伸ばしてくようになる。
こうしてDELLは今もなおコンピューター業界でもトップに入る会社として存在し続けている。
デルは幼い頃からお金を稼ぐ方法を自ら模索して実践していた。
大きなことを始める前に小さなことからコツコツとビジネス感覚を身につけ
成功体験を積み重ねていったのた。
何事にも好奇心と向上心を忘れずに目の前の興味があるものに没頭する。
そしてその状況がたとえピンチであっても必ず打開策を見つけて最善の道へと導いていく姿は
まさに経営者の鏡と言ってもいいだろう。