
芸術の世界は知っている人からしたら自然な事でも
知らない人からしたら不思議な事ばかりだと思いませんか?
たった1枚の絵に何億という高価な値段がつく事が当たり前の世界。
美術品の価値は需要と供給で成り立っていて
需要が無ければ100円くらいの価値にしかならない事もある。
なぜそれだけの差がつくのか?美術品の価値が上がる理由ついて考えていきたいと思う。
■すごい絵を描くから高値がつく訳ではない
必ずしも絵がうまい人が評価されるとは限らない。
「画力があるが無名の画家」と「画力は無いが知名度がある画家」とだったら
圧倒的に「画力は無いが知名度がある画家」の方が需要がある。
なぜかというと、それだけその人の絵を見る人がいて
たった1%の人しか需要が無かったとしても、見る人が多ければファンの数も必然的に多くなるからだ。
例えば、画力のある人が10人に毎月絵を見てもらえる機会があるとする。
対して、画力がない人は1000人に毎月絵をみてもらえる機会ある。
画力のある人のファンになる確率は10%。
画力が無い人のファンになる確率は1%。
そうなると、画力がある人は毎月1人ずつファンが増えていくのに対して
画力が無い人は毎月10人ずつファンが増えていく。
画力が無い人の方がある人により10倍も多くのファンを増やしていくことが出来るのだ。
普通に考えて画力のある人の方が多くの人達を魅了出来る絵を発信する事が出来る。
でも、それが多くの人が見る機会が無ければ「存在しない」のと同じなのだ。
※絵が上手いだけでは売れない時代に画家として生活する方法の記事はコチラ
■絵の価値が上がる共通点
絵の価値は希少性であったり需要と供給のバランスだったり
いろいろ難しい内容で説明している人がたくさんいるが
おそらく大まかに絵の価値というのは「その人にとって価値があるか無いか」で決まる。
無名な新人であったとしても、お金持ちの人が100万円の価値を付ければ
その絵は100万円の価値になる。
それだけの価値をつける人が多い少ないによって話題性や世に知れ渡る確率は変わるが
たった1人しかファンがいなかったとしても、その人が高額の値段を付ければ
その価値の絵を提供出来ている事になる。
例えば、日本だと芸能人が絵を描いて個展を開くとだいたい全部完売する。
それは、その芸能人に元からファンがいて、その人が描いた絵が画力が無かったとしても
欲しいと思う人がたくさんいるからだ。
他にも芸術の世界では初めてドリッピングの手法を用いた絵画、
作品を縦に切り裂いた絵画など「初めて○○した」作品が評価される事もある。
また、一番分かりやすいのは希少性だ。
世界で一番高値が付いたレオナルド・ダ・ヴィンチの「サルバトール・ムンディ」は508億円。
ダ・ヴィンチは作品数が少なく、その作品のほとんどは美術館が所有している為、
こうした世に出てくる事は滅多にない。
歴史的に有名な人物で画力もあり、作品数も少ない。
全ての要素が揃う事で、この金額でも欲しいという人が現れるのだ。
■本当に価値が分かる人はほとんどいないのかも・・・
それでも絵の価値をどうやって評価しているのかは曖昧だと思う。
インテリアショップ「IKEA」の絵画商品をある美術館に飾る実験が行われた。
価値で言うと数千円の絵をあたかも有名な画家が描いたかのような
立派な額縁にいれて、その絵を見る人に感想を聞いていった。
すると絵の事を褒める人ばかりで、中には3億円もの価値をつける人もいた。
あたかも分かっているような感想を述べて、絵の素晴らしさを表現する人しかいかなったのだ。
この事からも分かるように、美術館に来て絵を楽しんでいる人は
本当に絵の良し悪しが分かる人はほとんどいないのかもしれないという事。
逆に言うと評価されたその絵は、それだけの価値があったとしてもおかしくなかったのかもしれない。
人によって感性は違っていて、その人が見て「素晴らしい」と思った作品は
実際に「素晴らしい」作品としてその場に存在しているのだ。
みんな好き嫌いや良し悪しの判断基準は異なるのだから
それを共通に合わせようとするのはかなり難しい。
そんな難しい事を考えるよりも、自分が好きな絵嫌いな絵を心から楽しめばいいと思う。
まずは芸術の世界に思い切って飛び込んでみる。
その中で、お気に入りの1枚や画家を見つけることが出来れば自分の世界が広がり
そこから興味を持って知識を得れば、さらに違った見方で芸術を楽しむ事が出来る。
曖昧な世界だからこそ「正解」なんて存在しない。
その時代によって評価される絵、されない絵があったように
今の時代の芸術の価値を決めるのは、今を生きている自分達だという事を自覚すべきだと思う。
※日本におけるアートの位置付けや役割について書いた記事はコチラ