カーネル・サンダースがケンタッキーのレシピを広めた方法

ケンタッキーフライドチキンの創始者であるカーネル・サンダース。

彼の事を知らない人は日本でほぼいないだろう。

ケンタッキーの前に必ずあるにこやかな笑顔のおじさんを

誰もが目にした事があると思う。

僕もクリスマスの時期には行列に並んでフライドチキンを買いに行った記憶がある。

日常的に食べる感覚ではないが、ふとした時に食べたくなる忘れられない味だ。

 

そんなフライドチキンを生み出した時のカーネル・サンダースの年齢は

なんと65歳!?

僕の父親がだいたい同じ年齢だから、その年から起業するなんて普通は考えられない。

 

そんな彼がどんな人生を送ってきて、どんな経緯があってケンタッキーを開業する事になったのか

有名な話だが知らない人も多かったので簡単にまとめてみた。

レストラン経営

■苦労した人生

1890年に生まれ、幼くして父を亡くした為、家計を助けるために10歳から働き始める。

40種類以上もの仕事を経験し、職を転々をしながらも生きる為に一生懸命働いた。

時には母の再婚相手に暴力を振るわれて家を出た事もあったり、かなり苦労した子供時代を過ごしている。

 

そこから30代後半に初めて起業する事になる。

最初はガソリンスタンドの経営をはじめた。順調とまではいかなかったが、

ガソリンスタンドの一角にレストラン「サンダースカフェ」をオープンするなど

お客様にサービスする大切さを知っていた彼は、

人に喜んでもらう事を追及していった。

 

料理の美味しさやサービスの良さが評判になり少しずつ繁盛していき

ケンタッキー知事から名誉称号を与えられるほどにまで成長した。

 

だが、時代の流れでバイパスが出来た事によってガソリンスタンドに立ち寄る人が激減。

ガソリンスタンドが倒産すると共に、カフェも運悪く火災で焼失してしまった。

だが、それで諦める彼ではなかった。

経営のノウハウを活かし、レストランを再建するなど何度も復帰を試みる。

その中で誕生したのが、今も世界中で愛されているケンタッキーフライドチキンの味である。

車で全米を営業

■不幸中の幸い

度重なる逆境で負債を多く抱えていた彼は、一旦店舗経営から退き

各地のレストランにフライドチキンのレシピを伝授して1つ売れる毎に5セントの利益を得る仕組みで営業を始める。

今でいう「フランチャイズビジネス」をいち早く始めたのだ。

おそらく負債を抱えていたからこそ、この方法でお客様にサービスする事を思い付いたんだと思う。

 

だが、その当時65歳を超えているおじいちゃんが

全米を車一台で営業に回るなんて普通ではないが、

自分のアイデアを信じてひたすら突き進むなんて、相当な熱意がないとできないと思う。

しかも1009回も断られてしまったらしい。

それでも諦めずに73歳の時には600店舗を超える規模にまで拡大してみせた。

 

その執念はほとんどの人が真似できないだろう。

だが、彼自身は自分の事を「自分に特別な才能があったとは思えない」と言っている。

だが、「自分を信じる力」と「美味しいものでみんなを幸せにしたい」という想いを

ずっと持ち続ける事ができるのは、誰がどう見ても特別な才能だと思う。

特別な能力は無かったように見えて、その熱意こそが誰にも負けない特別な能力だったのだ。

 

逆に言うと、これは誰にでもできる事だ。

特別な資格や能力がないと成功できないという訳ではない。

努力と情熱がなにより重要だという事を彼は教えてくれている。

 

カーネル・サンダースの人生からは起業を目指している人にとって

勇気をもらえる話ばかりだ。

恵まれた環境じゃなくても、年齢が若くなくても、熱意があればなんだってできる。

そんな彼を手本に自分の信じた道を突き進んでいければと思う。